屋久島旅行 2日目
2日目の今日はなんと起床4:20。今日は憧れの縄文杉に会いに行くのだ。
私たちが選んだツアーは屋久島パーソナルエコツアーの「縄文杉ひとりじめキャンプ」
http://www.relaxin-yaku.com/1haku-joumon.html
一人37,000円×2名という、超高額エコツアー。しかし、海外ではこのくらい普通なのでは?
“屋久杉に行くには往復約22キロ、約10時間以上ひたすら歩く日帰り縄文杉をあわただしく見て帰る格安団体パックツアーじゃ、あまりにも屋久島つまんなくないですか?そういう理由から当店では日帰り縄文杉ツアーはしていません。”
とホームページにあるが、同感同感。数千年生きた森の神と会うのだ。ゆっくりと対面の時間を味わいたい。
当日のガイドは吉村充史さん。宿から路線バス発着所までマイカーで送迎してくれ、朝食の弁当を食べる際にはマットを出してくれる。このマットも、二人でガイド貸切だから対応できる。いろいろと吸収して帰ろうと思う。
登山口で出迎えるのはトロッコ列車。連れに任せっぱなしで全く下調べをしていなかった私はビックリ、え!登山道じゃないの?
昔は屋久杉、現在は土埋木を搬出しているトロッコ車のレール軌道。縄文杉に会いに行くには、全長11kmの内、最初の8kmの間、このトロッコ道をひたすら歩き続けるのだ。
切り替えスイッチを押してみる。カチャッ、おお、さすがは現役線路、動く動く。
縄文杉に行くには原生林を延々と歩くのだと思っていたが、そうではなかった。人の営みと森との歴史を感じながら歩く、まさに私が嬬恋で実施していくエコツアー、そのものだったのだ。
大きな花崗岩の一枚岩。それにわずかのコケがつき、土らしきものができ始め、シダ類がつき、やがて草木がつき森林になる。しかし、その土壌は非常に薄い。雨が多い屋久島ではかなりの巨木でも、その下の土壌は20cm程しかないのだという。
トロッコ道の橋は、人が歩くための設計ではないので、手すりがない。高所恐怖症の私はかなり怖かった。
クスノキ科のヤブニッケイを教えてもらった。この葉はとてもいい匂い。ローズマリーとレモンバーム、それにミントをたしたような香りでとても元気になる。気に入った。
トロッコ道は木を伐りだすための道なので、道沿いにある大きな木は普通伐られてしまっているはずである。なのにたまにはこのように大きな縄文杉も残っている。もしかしたら、柱として使うため等に残したのかもしれない。屋久島では樹齢1000年以上のものを屋久杉といい、それ以下のものは小杉というそうだ。この屋久杉は樹齢1500年といわれている。
この横のトロッコ橋はなんと鉄橋ではなく、丸太橋。なんともざっくばらんな。
この先が土砂崩れになっているので、つい1週間前から使用している迂回路を通る。
雨の多い屋久島では、一週間で登山道にある樹木は根が露出してしまう。
この迂回路は、長らく人が入っていなかった場所なので、鬱蒼とした、原生林っぽい感じがよく出ている。連れは、この付近の雰囲気がとても気に入ったようだ。
一番大きな橋、小杉谷橋を渡る際に、吉村さんが見つけたのはヤクザルの糞。ニホンザルよりも一回り以上ちいさい。
川に転がる岩、一枚一枚が、屋久島のものは他と比べて大きいという。確かにそう見える。岩が硬いからなのか、転がる距離があまりないからなのか、理由はよくわからない。
かつて小杉谷集落があった場所には看板があり、詳しく説明が書いてあった。1960年には村人は540人の集落となり、小・中学校生徒は108名を数えた。
今はヤクシカが悠々と食事をしている。
この岩だらけのはずの場所に、無理やり土砂を盛って整地しグラウンドにしたので、数十年後の今は陥没し元々の地形に戻ろうとしている。
この付近では縄文杉等の著名屋久杉の遺伝子を育成保存している。どれが縄文杉の苗かは秘密だそうだ。
出発してから初めてのトイレ。ここには阪急交通社が寄付したバイオトイレがある。オンシーズンには、毎日大量のお客さんを送客してくるそうだ。
近くにいるヤクシカのお母さんがしきりに私達を吼えていた。これまで会った他のシカは吼えなかったのにどうしてだろう?
次の見どころ、三代杉に到着。この杉は、1500年前に樹齢1200年の屋久杉が倒れ、その上に樹齢1000年の屋久杉が生えていた。それが350年前に伐採されて、その後すぐに生えてきた樹齢350年の杉がどんと建っている。
今の杉はひょろんとしたものだが、根はとても立派。
中に入って1500年前に倒れた杉の拝見。結構しっかりしていて、とてもそんな昔に倒れたとは思えない。本当に、屋久杉は腐りにくいのだなあ。
歩いていくと、10年ほど前に倒れたモミの木があった。屋久島の杉とは違って、見る見るうちに分解していく。しかし年輪が広いのはなぜなのだろう?
私の仮説としては、ようするに屋久島の杉は生命力が強く、台風で主幹がなくなってしまったり、土壌・日光などの発育条件が悪い中でも少しずつでも成長できると考える。しかし、ツガやモミなど他の針葉樹は、条件が悪くなると枯れてしまい、倒れることになる。だから年輪は広いものしかない。狭くなって生き延びることができない。
トロッコ道終点。2つ目のトイレである。うまい飲み水を補給し、ここからようやく登山らしい道を歩くことになる。
ここからの道を大株歩道という。岩や木の根が段差となる登山道。
屋久島全体を覆っている花崗岩。よく見ると長方形の白い部分がある。これは正長石という。花崗岩は主に正長石・斜長石・石英・黒雲母の粒から出来ているそうだ。
右の写真には翁杉が写っている(左側)。幹周り12.6mで屋久杉第二位の巨木らしいが、そう迫力を感じなかった。
次に見えてきたのはウィルソン株。アメリカの植物学者アーネスト・ウィルソン博士が屋久杉を踏査した際に名づけられた。胸高周囲13.8m。
説明版によると、18世紀末ごろに伐採され、屋久島では一番古い切り株といわれている…と書いてあるが、もっと苔むした切り株はたくさんあった。例えば三代杉は350年前だし。どういう比較をしているのだろう?
伐採した残りの幹がすぐ近くの石に横たわり、立っていた時の高さは40m位あったらしい。一部は天皇家に寄贈されてもいるようだ。
切り株の中はとても広く、英美子さんのいる位置から空を見上げると、ハート型に見える。ミクシイで見たのはこのハートだったのか。まっさか日本だったとは。
私にとってはなんでもないこの階段も、登山慣れしていない連れにとってはきつかったようだ。
いたるところにある小川。川底を見ると、先ほどの正長石の結晶が溜まっている。結晶は硬いのかな?
ヒメシャラの大木。胸高直径は1mを超える。浅間北麓ではこんなに大きいヒメシャラは見たことがない。
そして大王杉へ。縄文杉が発見されるまで屋久杉最大とされた存在。樹高24.7m・胸高直径11.1m・樹齢3000年。いい姿をしている。この大王杉にも会いたかった。
次に夫婦杉。この杉はなんと、枝が融合して合わさってしまった合体木。こんな杉があるなんて驚いた。
この杉の前では、夫婦になる予定の私達も記念に一枚パシャリ。
夫婦杉の歩道反対側には、台風で樹冠のほとんどが失われてしまった屋久杉が見られる。このようになっても生きていかれる屋久島の杉の生命力が、あの年輪になると私は見ている。
主根が枯れても、不定根を発生させ新たに根を張ろうとする。
世界遺産登録地域に入ってからは、屋久杉の割合がぐんと増える。どれもこれも巨木ばかり。私は、屋久島で最大のバイオマス量となるヤクスギを、森中の生き物たちが応援しているように感じる。ヤクスギは危険な林床ではなく、高い場所で発芽させてくれる。そして森に立体構造を作り出し、生き物達の生息場所、隠れ家、子育て…など、さまざまなことに利用することができる。しかも腐りにくく頑丈だ。
森の生き物達、誰もが大切にしているヤクスギに、神が宿らない理由がないし、そんなに大事にされているものを安易に伐ってしまったらたたりがあるのは当然だと思う。
この杉は江戸時代に試し切りをされた後、生命力があるのでその傷をしっかり塞いでいこうとしている。この樹に触れると子宝に恵まれるという。確かにそんな形をしている。
魚の頭かワニの頭か?面白い形の倒木だ。恐らく、この奥にある主を守っているのだ。
いよいよだ、この階段を上ると私達を待っている者がいる。
国内最大の杉、縄文杉。樹高25.3m、胸高直径16.4m、標高1300mm付近に生える。推定樹齢は7200年といわれていた時期もあったが、現在は放射性炭素を使った測定法で確認できたのが2170年、それ以上は中が空洞になっていてよくわかっていない。
キリスト教の一宗派の教義には、世界は7000年前に神様が創ったとしているものがあって、樹齢の件で問い合わせがあったそうだ。
縄文杉にはもう触ることはできない。15m手前のデッキからその姿を眺める。取材した新聞記者が縄文土器の火焔土器に似ているということから縄文杉という名前にしたらしい。いい名前だ。
私達も記念写真。よくぞ廻り合わせてくれた。心からありがとう。
縄文杉の枝の一部は平成17年12月に折れてしまった。その枝を屋久杉自然館に保存展示しているらしい。地上10数メートルの枝の年輪が1000歳である。さすがは縄文杉。
驚いたことに、この付近の大きな屋久杉には、江戸時代に斧を入れた“試し切り”の跡が見られる。江戸時代の人たちはこんなに山奥まで平木を取りに来ていたということ、そして縄文杉の存在を知っていたということ、そして当時の文献を頼りに探し回った発見者・岩川さんの根性に驚いた。
そして午後3時30分、今晩の宿、高塚小屋についた。
ありがたいことに高塚小屋は他に利用者がいなく、貸切状態。これはありがたかった。初めての本物山小屋泊だったし、雨にかなり濡れてしまっていたし。荷物を広げてしまっているが、普通はこういう状態にはなれない。自分の寝袋スペースだけでこじんまりとやらなくてはならないのだ。だから皆さん、ぜひオフシーズンである3月にこのツアーを体験してみてください。
夕食からは、全てガイドさんが作ってくれる。登山するのに自分の食料も持たない人を私は山に連れて行きたくないが、このおもてなしが二日間で74,000円(二人料金)の料金を取れる秘訣なのだろう。とても真似できない。
この方が物知りガイドの吉村さん。本当にいいガイドさんだった。
夕食はさばぶし味の和風カレーとサラダ。ありがたいことに屋久島焼酎・三岳もおいしくいただきました。