秋山郷への旅



今日は赤木さんを毛無峠−破風岳ハイキングコースにご案内する予定だったのだが、あいにくの天気。久しぶりに秋山郷を探索することにした。

まずは軽く腹ごしらえを。『県境の宿 渋峠』で今が旬の竹の子汁を。HP→http://www5e.biglobe.ne.jp/~shibtoge/

左の写真は映画『私をスキーに連れてって』の撮影クルーが泊まった時の写真だということ。三上博や原田知世沖田浩之の姿が見える。

とんでもない大きさのイノシシの剥製は、牙のつけ方が失敗しているらしい。

ここの竹の子汁の出汁は、鯖缶ではないように思った。これは鮭缶かな?


  


奥志賀林道のブナ林は美しい。ここの成熟した森は本当に好きだ。車道から見える風景だけで充分に癒される。

この山を初めて見たとき、「なるほど、これが名峰・苗場山か」と思ったものだが、いやいや、地形図から見る苗場はあれじゃない。あれは大岩山なのだろう。凄い絶壁だ。覗いたら卒倒してしまいそうだ。

秋山郷に到着。秀清館の看板が目立っているので、どんなところなのか様子を見てみることにした。ほほう、これが…


  


玄関前が庭園でなく畑とは、なかなかロハスでよろしい。でもこれだけの畑ではお客様に足りないだろうなあ。

おや、足湯まで整備してあるのか。どれどれ…

う、湯船に苔のようなものが生えている。どうも不潔っぽいような気がして、入る気になれなかった。しかし、別に大自然中の山の湯なんてこんなものざらにあるのだが、下手にタイルを敷いてしまったために、汚れているように見えるのではないだろうか。木の湯船にしてしまっては?


  


あれ?庭に見えたのは、露天風呂ではないか。スゲー、丸見えだ。ここに入れる女性ってかっこいいよなー。

“無断入浴を禁ずる” そりゃそーだ。うーん、この立地だと、夏休みとか、結構やられてしまっていそう。

☆秋山のよさ節

 うら家の衆は ゝ 嫁をとること ノヨサ 忘れたか
 忘れたか ゝ 嫁をとること ノヨサ 忘れたか


  


あのガラス窓の出っ張った建物は大浴場かな?仁王立ちして見せる強者は年に何人くらいいるんだろう?

隣接するいい建物は高級客相手の別棟かな…

げ!こりゃあ社長の家っぽいぞ!しかも招き猫! うーん、個人的には面白くて自由でロハスで大好きな経営方針なのだが、お客様の宿泊棟の概観よりも、社長の家の概観のほうが豪勢っていうのはやばいんじゃないの?肝が据わっているっていうか…


  


その秀清館の向かいには、村立小学校があった。ここは中津川に近すぎる。苗場山塊と急峻な鳥甲山の間を流れる中津川は、氾濫しやすい川のように思うが大丈夫なのだろうか?ちょっと気になった。


 


秋山木工に入ると心材と辺材の色が極端に違う木工芸品が。お、これはイチイでは?と思ったらエンジュだった。これがイチイなら、私のインタープリターションエリアの重要な木なのでほしかったのだが。

栃のテーブルがたくさんあった。近寄ってみると葉をデザインした切り込みが。なかなかナイス。


  


この仏様のサイズはなんと、5cmほどである。こんな細かい作業、考えただけで気が遠くなりそう。凄い業師がいるもんだな。


 


行列のできるとち餅大福?あんこははっきり言って嫌いなのだが、話のタネに食べてみた。

んー、餅にトチの実をすり込んであるのか。私にとっては普通のあんこ餅よりも、木の実の味がするこっちのほうがマシだと思った。


  


うおっ!あったあった、熊肉を出す店が。熊肉は美味いと聞いていたのだが、以前ここで食べた熊肉ラーメンは(私にとって)不味かったなあ。一日中、ゲップが臭くて臭くて。失礼、私が合わなかっただけかも知れない。

しかしここの看板は凄い。熊肉ラーメン、そば、おでん、ホルモン、自然食…店のコンセプトは“地球”か!?


 


次に【秋山郷総合センターとねんぼ】へ。

ここの看板「よく来たのし」は、「よく来た」と「楽しい」を合わせた造語…かと思ったがそうではない。「よく来たねえ」って意味だって。

左武流山登山道復活作戦の手作りポスターからは、私のような熱血漢がこの集落にいることを示していた。同じ夢を追う日が来るのは、そう遠くないであろう。


  


秋山郷周辺の山々の立体模型が。この日のシリーズの2番目にも書いたが、これを見てようやく、奥志賀林道から見える凸型の山は苗場山ではなく、大岩山だったことがわかった。

パネルには、≪民間医療のメッカ≫と書いてある。すげえ、やっぱ山師は薬草使いなのか。内容を下に記載。

秋山郷ではオウレン(黄蓮)など薬草がよく用いられている。苗場山の奥山で取れるオウレンの根は、胃腸・切傷・出来物・肺結核の治療によいといわれている。またオウバク黄檗別名キハダ)は咳き止め、オニク(御肉)は下痢止め、ゲンノショウコドクダミは胃腸病に効く。燻製した蛇の粉末は、心臓病と胃腸病に効果がある。熊の胆は万病に効く特効薬で、特に潰瘍の治療に効果覿面である。また切傷の回復が早いので、熊の胆に対する需要は最近急速に高まっている。その価格は金と同じといわれてきたが、現価格は十倍ほどになっている。』


  



エンジュスライスのお土産は360円。うう、安い。サンプルとしてほしいような気もするが、私がほしいのはあくまでもイチイ、がまんがまん。…しかしこれを我慢したおかげで、隣にあった最高にお得な昼寝枕450円まで我慢してしまった。ああ、あの昼寝枕がほしくて夜も寝られない。

左側に『保存民家』の看板が。とりあえず寄ってみるか。おっ、なんだこの古屋敷は…


  


【福原総本家旧宅】

江戸時代中期頃の建物で豪雪地特有の中門造りの民家です。雪中の暮らしの厳しさが仕上げた堅固な造りです。

入口左後ろにあるブレーカーを上げて、中に入る。なんか凄いぞ。こういうものを残しておく気概がいいねえ。

昔は子沢山だったろうが、この中に何人ぐらい住んでいたんだろう。本人専用の部屋はもちろん、棚もなかったんだろうな。好きな本も買い込めない。シンプルに生きることができたのは、時間の流れるスピードがゆっくりだったからだろう。


  


【福原文書について】

『この写真にある書きものは、小赤沢の福原平右エ門という組頭の家に残された、江戸時代中ほどの書きものです。秋山に残る数少ないものでたいへんだいじな書きものです。たくさんありますがおもなものの写真です。この書きものから江戸時代のことを、ここに住んでいた秋山の人のことを考えてみましょう。詳しいことは先生にお聞きしましょう。』と書いてある。

何気なく読んで見てビックリ!天明三年のききんの記録が残されている!天明三年といえば浅間山大噴火の年。実際には世界的な気候変動は海外の火山の大噴火のせいだったらしいが、国内においては浅間山の影響を考えない理由はない。こう書いてある。

『上の写真は、今から190年ほど前、江戸時代の天明三年という年に天候が悪く木の実もみのらず食べ物がなくなって、小赤沢村で22件あったうち9件死にたえ、村中では173人も死んでしまいました。次の年の正月食べ物がなくて1人死にました。米1日8合5勺をかゆにして食べていました。こんなひどい目にあったことを万年にも末代までも長く長く伝えよう と、小赤沢の福原平右エ門という人が書き残されたものです。

天明の飢饉で滅びた村「大秋山村」矢櫃村 天保の飢饉で滅びた村「甘酒村」』

外に出てからどのくらい古い家か、安田さん流で木の風化状態を調べてみた。すると、おお、確かに3mm以上の風化が見られる。本当に江戸時代中期、築300年の家だ。


  


ふと見えた棚田の風景。昔は里山に普通にあったこの風景は、秘境に来てようやく見ることができる。

きたあ、山源木工。HP→http://www.otochi.com/

瘤だらけのトチの老木に命を吹き込む輪切りテーブル&手彫りこね鉢。匠一筋かあ、男だったら誰でも一度は、こういう風に生きたいと思った頃があるよナア。

このショップでは、エンジュ製のふくろうの携帯ストラップを購入した。


  


道路を挟んだところにあるのは工場だろうか。立派な玉杢がたくさん取れそうな大木がいくつもある。これを外に飾っておくのもいいセンスだ。とても目立つ。

当たり前のことだが、材料はトチの生立木を伐っているのだ。丸太だけになっても、萌芽して芽が出ている。木が地面についていたら発根していただろうか?


  


昼ごはんは結局一番奥のほう、へいけ茶屋でいただいたのだが、秋山郷観光協会のチラシには載っていない。いろいろと勢力図があるらしい。

注文したのは山菜定食。きゃらふき、ぜんまい、たけのこ、うど、アスパラ、青唐辛子味噌和え、山にんじんの葉?


  


さて後は、伝説の赤湯に入れば、今日のメインプログラムは終了。折り返して楽養館の赤湯に到着。

おお、これこれ。以前、タレントのさまーずがバカルディと名乗っていた頃、テレビで「伝説の赤湯を求めて」のようなタイトルの番組をやって、万座から奥志賀林道を通りここ秋山郷の楽養館に来た。それから私はずっと紅白湯めぐりツアーのような企画をやりたいと思っているのだ。

以前はこのお湯の出口にタオルがかかっていた。ポンプが空気を吸い込み「バガッボガボゴッズズー…ボガゴガ!!!」と鳴り捲りめっちゃ怖かったのだ。ポンプは割りと静かだった。少し拍子抜け。楽養館の魅力が一つ欠けてしまった。


  


楽養館と県道の間にある謎の建物。荷物を置く小屋ではないし、石垣は組んであるし、機能していないし…

奇妙で気になるので近くによって見たが、さっぱり解らない。木の樋があったので、通水に使っていただろうが、小屋から出ている受け皿のようなものの使い方が解らない、なんだこりゃあ。


  


切明温泉の様子を見て、ああ、やっぱり秋山郷は秋山時間が流れているなあ…と思って帰ろうとしたら、何か変な看板を発見。

【来るなら来てみろ もっきりや 営業中】

げ!なんだこの喧嘩腰の看板は!?しかも1泊2食付3,000円!薄利多売論が通用しないこの不便な秋山郷でそれでいいのか?


  


【告、このあたりは村の衆が昔からでえじにつこてる土地れよそもんがむやみにへえっちゃならん!
作物山菜は絶対に採っちゃならん!!山房もっきりや‡】

うわあ、なんだこのインパクトのある警告看板は!だめだ、ハートを完全に鷲掴みにされてしまった。もう行くしかない。

【もっきりや ここより悪路 自信のない方は転進】

おや、なかなか親切ではないか。悪路を何キロか走って到着。うーん、宿というか人ん家というか…八戸ナンバーの車が一台あったが客人か?それともスタッフか?


  


うおっ、この玄関の歓迎していない雰囲気。おもてなしの心など微塵も感じられない。

しかもなんだこの屋号のマークは?レトロ調なんだろうな。もっきりともっこりをかけている変態軍団?…のわけはさすがにないだろうが、うっかり店員に下手を言ったら山に埋められてしまわないだろうか?ドアの向こうにある世界に入り込む気にはなれない。

【書守文琢学魯孔諭師憲史等】…はあ?呪いかけてんのかこの野郎!?…なんて、怖くてとても発言できん。退散退散。