千ヶ滝最終下見



最終の千ヶ滝ハイキングコース下見。この付近は私の生活エリアではないので、このように何度も下見をしなくてはならない。知ったかぶりのインタープリテーションはしたくないから。このコースでまだこれまでに書き込んでいないことを書く。

駐車場脇に倒れているアカマツ。大きな樹ではない。この状況から、ぱっと見て、この沢は非常に深い軽石層の上をわずかな土壌が覆っており、その上に樹木が立っているのだということが解かる。まだ、大木は少ない理由がここにある。

回り込んでみると、おお、土壌の厚さがちょうど22.5cmくらいだ。1783年噴火から225年。土壌が1年間に1mm育つとしたら、1783年、ここに軽石が大量に降り積もったということになる。この軽石、本当に1783年のものか?

橋を渡る手前で、ウワミズザクラで熊棚がある。そうか、ではこの【もののけの森】に立ち入るには、もののけを讃える曲の演奏が必要かな…


  


チョウセンゴミシも、結構ある。食べさせてもいいんだけど、どうしようかな。

ハウチワカエデの学名は【日本のカエデ】という意味。ぜひこのカエデを増やしたい。この沢には山ほどある。ちょうど手の届くところに種があった。


  


緑色の実は、恐らくヤマガシュウ(ユリ科シオデ属)。万座にはないので間違っているかも。実を食べてみたが美味いもんじゃ無い。

ヤドリギの大きなものがあったが、なんだか萎れているなあ。どうしてだろう。例えば今年は雨不足なので、本体のミズナラが水不足になっていると、寄生したヤドリギも萎れる…という現象ではないだろうか。


  


シラカバの数は少ない。コース内に、ほんのわずかに枯れた木が残るのみとなっている。陽樹から陰樹へと移り変わる森の遷移の話もいいが、私はここで、シラカバの気持ちを考えたい。枯れていくシラカバは、本当に悲しんでいるのだろうか。このシラカバは、シラカバとしてはまずまずの太さまで成長してから、枯れたように見える。ということは、もう充分に種を散布し、自分の子孫は残せたはずである。しかも自分がいつまでものさばっていると、日光が大好きな自分の子供たちは発芽するチャンスが無いのである。

では二つ目のケースはどうか。苔に覆われ、そこに多年草植物が生えてしまっているハルニレの樹。…庭木であればこの状態は、苔は病原菌の温床になるし、幹の呼吸がしにくくなるのでハルニレが苦しがっていると考え、治療にあたるわけだが、ここは天然林。私にはハルニレが苦しがっている声は聞こえてこない。種をある程度まき散らすことができる状況であれば、別にあれもこれも望む必要は無いのだ。自分の存在によって子供たちの発芽を今は抑えているのだし。

ミツバウツギの若芽は山菜として利用できる。そんな話をした上で、種を摘ませようかな。


  


ツリフネソウの実がパンパンに膨らんでいる。この状態で触ってやると実が弾けて種が飛び出す。良かった、いい自然体験ができる。

ノリウツギ?受粉が終わったら装飾花を裏返しにするのが特徴。昆虫の眼には、それはどういう風に映っているのだろう。しかしなぜそんな進化を?栄養分を自分に戻し離層をつくり装飾花を落としてしまえば?

コース髄一のハルニレの巨木の前ではいろいろと話をしたい。根が崖の地面を掴んでいる、作り出した立体空間にはさまざまな動物たちが…


  


行きでヤドリギがあった場所は、対岸を眺めて休憩するにはいい場所だ。ここで篠笛を練習していたら、どっかのネーちゃんがクスクス笑いながら通り過ぎていった。チェッ、やめたやめた。

川遊び場にも寄ってみたが、特になにもする気にならないなあ。飛び石でもしてみたが、軽石ばかりであまり飛ばなかった。

最後のウォーキング後のデジタル信号は、この橋の横のスペースで、林を見ながらヨーガをした後にやってみようかな。