浅間火山学習会
この夏は来年の本番に向けてのプレ嬬恋デスティネーションキャンペーンがある。当会では浅間火山エコツアーを実施することになっているが、今後学生に対しての体験学習プログラムとして、浅間火山についてインタープリテーションできる人材育成に取り組むことにした。まずは群馬大学教育学部教授・早川由紀夫先生に講師としてお越しいただいた。
集まってまずやりたかったのがコーラ噴火。コーラが突然勢いよく噴火するのだ。10m以上の高さに泡を吹き出す。このコーラ噴火は私としては軽石噴火の仕組みを考えさせるのに使いたい。
仕掛けは、これ。この魔法のキャップを作るためにメントス・釣り糸・皮ポンチ・錐が必要。
コーラ噴火について
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≪ここでの早川先生の指導覚書≫
- プレートが沈み込む際にマグマに1〜3%の水が入る。マグマには水が高圧状態で閉じ込められている。
- 噴火の際、地下から火口にマグマが上がってくると、中に閉じ込められている水が減圧により水蒸気に変わり、水は1,700倍の体積になる。空中に飛び上がったマグマの欠片は軽石となり、1783年浅間焼けでは20キロや30キロ風下の本庄市や藤岡市にも軽石が降ったという。
- この閉じ込められている水をコーラの中に高圧状態で解け込んでいる炭酸ガスに見立てる。メントスが触媒となり、外に出たがっている炭酸ガスが一気に爆発。コーラと共に一気に穴から噴火することになる。
- 先と後でコーラの味を比べてみるのもいい。
- 炭酸と同じ働きをするのは何か → 水 という風に、軽石を手に取らせてクイズを出してやってはいかが。
東京大学浅間火山観測所では、浅間火山の噴出物の様子がわかるように、地層断面を露出してある。1783年浅間焼けの際に積もった軽石などの降下物の層や、さらにその下の古い噴火の際のものなど、噴火のプロセスがどうであったかがよく見られてありがたい。また、噴火の合間に褐色森林土が挟まれているのもよく見られる。
しかし、大型バスがこの場所に入りにくいのが難点だ。
≪ここでの早川先生の指導覚書≫
- 高さを理解させるために、この地層の場所に子供を立たせてやってもいい。
- 天明の地層の上には7月に降った火山灰の層がある。
- 軽石は8/2午後から降った。その上に約180センチ堆積している。
- 赤いラインは吾妻火砕流が発生したときに降下したもの。火砕流にならなかったものが積もった。吾妻火砕流は8/4午後に数回あった。
- そこまでの48時間の間に積もった軽石は粒が細かい。それから先12時間半の間に積もった軽石は粒が粗い。これは、噴火がさらに激しくなったことを意味する。
- 黄色い軽石はゴミ?と考えている。マグマだまり周りの堆積物。
- 黒い石は溶岩。煙突が壊れた欠片と見ていい。
- レスを挟んで下に見える黒っぽい軽石が1108年大噴火の際のもの。この黒い軽石をBスコリアという。(これに対し1783年の軽石をA軽石という)
- 二酸化ケイ素(SiO2、シリカ(silica))の含有量で軽石の色が変わる。少ないと黒っぽくなる。
- 浅間山は基本的には安山岩。二酸化ケイ素含有量は重量に対して55,56,57%位。
- 52%未満が玄武岩、60%未満が安山岩、70%未満がデイサイト、それ以上は流紋岩。
- 仏岩、小浅間山はデイサイトだった。
- 玄武岩溶岩は温度が高く、流紋岩溶岩は温度が低い傾向がある。
- この場所では時間をかけて触らせたり、スケッチをとらせるなどしてもいい。
ふう〜、メモを整理するだけでも大変だ。しかし、私たち森林の専門家と火山学者の決定的な違いは土についての見立てかただと思う。私たちからすると、土壌は空気を含み呼吸をし水を蓄え、無数の土壌生物を養っている。土壌そのものが生きているとも言え、1年間に1mm堆積する…と考えるが、火山学者は1年間に0.1mmしか堆積しないと考えている。少なくとも早川先生はそう考えている。
しかし、1108年噴火と1783噴火の675年の間には、約30センチものレス(褐色森林土)が挟まれている。となると、両者とも、間違えていることになってしまう。早川先生は、それは「浅間山が近いので、小噴火の際に積もるものがここは多いからだろう」と回答した。
私はこう考える。あくまでも森林生態系学的には、空気を含んだ孔隙の多い「生きている土壌」を大切にしている。ふかふかした土壌は堆積時には年間1mmの厚さになる。しかし、堆積していくにつれて下になる部分は空気が潰れていき、厚さは薄くなる。1メートルも積もれば下部はほとんど空気がなくなり、土壌生物もほとんどいなくなる。樹木も根の深さはどんな大木であっても70センチ程しかない。それ以下は死の世界なのである。
つまり、森林土壌は年間1mm堆積するというのは、そういう意味を言っている。空気をたくさん含むふかふかの土壌のことだ。空気が抜けさらに重力でつぶれればそれは何分の一にもなる。土壌=堆積している地層の土ではない。
早川先生の年間0.1mm説は、少し無理があると思う。だって火山と関係ないところでももっと積もっているもの。
んーなことを考えている間に浅間園に到着。Dコースが閉鎖になっていることを知った。しばらくはCコースを使うことになる。
浅間火山博物館の自然遊歩道、Cコースを歩く。園地入って間もない左の岩、細かいひび割れが見える。早川先生は、これはまだ冷え切っていない溶岩が水の中に飛び込み、その後すぐに水の中から出たのではないかと考えている。確かに熱したビー玉を水に入れると細かいひびだらけになる。そういう経験がある。こういうのを水冷構造といい、亀甲割れ目になるそうだ。
≪ここでの早川先生の指導覚書≫
- 園内双眼鏡の先の広場を使ってインタープリテーションするのが良いだろう。
- まず配った地図を見せ、どこに自分がいるか理解させる。そしておもちゃ王国の観覧車を見せる。いま私たちは4キロ地点にいる。
- 溶岩は山頂から流れてきて、5.8キロ地点まで流れたことを理解する。
- 溶岩が北側に流れたのはどうして?=北側が低かったから。
- 南からみるとちょうど12時の方向にある千トン岩は、実は三千トン位ある。1950年9月23日の噴火で飛び出た。その噴火は、20世紀で10人の死者を出した爆発の一つ。
- 浅間山西斜面には2004年9月23日に噴出した百トン岩がある。
- 浅間山や桜島はブルカノ式噴火でドカンと爆発する。
- 最近のアイスランドの噴火や2009年浅間山の噴火はストロンボリ式噴火。他にハワイ式噴火やプレー式噴火もある。
- 直径2mmまでのものを火山灰、64mmまでのものを火山礫、それ以上のものを火山弾という。火山弾は4キロ位までしか飛ばないが、早川先生は5.5キロ飛んだものを発見している。
- シェルター説明時には上に乗っている火山弾も見せるといいだろう。壁が火口に垂直になっている。
≪指導覚書、見晴台から東を見て≫
- 見晴台の東に見える窪地はかつての柳井沼。当時は50m位上部に端があったのではないか。
- ここで大きな水蒸気爆発(鎌原熱雲)があり、ここから出た溶岩が黒岩。
- 柳井沼から出た溶岩の一つが入り口付近にあった亀甲割れ目の溶岩。柱状節理はゆっくり冷えてできる。
- 柳井沼の底でボーリングすると溶岩は100mの厚さがある。
≪指導覚書、見晴台から浅間山を見て≫
- 2万4300年前に崩れた当時の、黒斑山の東側稜線は、今の前掛山まではなかった。よく、黒斑山の西側稜線と前掛山の稜線を結び、黒斑山は3千数百メートルあったという人がいるが間違い。もっと稜線の放物線は中側にあり、きっと高さも今とそう変わらなく、二千数百メートルだったろう。日本の火山の場合、そのような高さが単体火山の成長の限界なのだろう。そう考えると日本の火山がほとんど説明がつく。
- 1883年、磐梯山が崩れて五色沼ができた。1980年5月18日、セントヘレンズ火山も崩れた。火山は壊れる宿命を持つ。
- 黒斑山も2万4300年前に崩れて、その後軽石が降った。
- 浅間山もやがて崩れる。しかも若い火山だというが作っている段階ではない。もう壊れ始めていると見るべきだ。
見晴台手前にあった赤い岩とそれを包む溶岩。この違いを良く見ておくように言われ、その後、地点55では以下のように指導された。
≪ここでの早川先生の指導覚書≫
- この場所(地点55)はわかりやすい、多面体の安山岩溶岩が転がっている。これをブロック溶岩と呼ぶ。この溶岩がどのようにここに運ばれて来たか推理させる。
- 時速4キロのスピードで進んできた厚さ50mの溶岩は、上部10mが冷えて割れながら進み、同様に下部5mにそれらを巻き込んだ層がある。冷えて割れた溶岩のかけらをキャタピラのように巻き込んで進んできた。
- 安山岩は昼間流れてきても黒く見えて良くわからない。キラウェアの玄武岩溶岩は赤く見えることがある。
- 鬼押出し溶岩流を象徴するギザギザ、凸凹に見える地表の溶岩は、本来の溶岩の姿ではない。釜山のスコリア丘の欠片を巻き込んで運んできたのだ。スコリアは比重が軽く、流れてくる過程で表面に出てきやすい。スコリアと溶岩とが合体したものが表面に露出しているのだ。
- スコリアが赤いのは高温酸化したから。表面はすぐに冷えるので黒いが、中は時間をかけてしっかりと酸化しているので赤くなる。
- 板状節理(板目石)は急斜面を駆け抜けていくときにできたのではないか。
- 歯みがき溶岩は先に冷えて硬くなった溶岩の隙間を、軟らかい溶岩が流れるとできる。マヨネーズのチューブのよう。
- 溶岩の表面のざらざらしたものをクリンカーという。
自然遊歩道を出たところに、地層が少しだけ露出しているところがある。そこに寄って見てみると、ガラス光沢を持つ火山礫の層だった。これが鎌原熱雲。早川先生の説で、柳井沼に貫入した溶岩が大爆発を起こし、粉々になって降り積もった跡であるという。
その層を少し掘ってみると、木炭が出てくる。かつてここは巨木もあったであろう森林だったが、鎌原熱雲の爆風で木はなぎ倒され、そこに高温の溶岩のかけらが降り積もり当時の樹木は炭化したというのだ。
この説が、早川先生が荒牧先生と決定的に違う説。しかし非常に説得力がある。
次に、鬼押しハイウェーに戻る場所に吾妻火砕流があるというので見てみると、どうも法面の吹き付け工事の跡地のよう…にみえたが、そうではない。なんとこれが、吾妻火砕流そのものなのだ!
吾妻火砕流は600℃〜700℃。溶結して、まるで岩のよう。見た目では溶岩のようになった。だから溶岩樹型は火砕流樹型とは言われなかった。だれも火砕流だとはわからなかったから。
そして追分火砕流の上部に、確かにある。鎌原熱雲の欠片が!そして、柳井沼から遠いこの位置は10センチ程しかない。この欠片が山頂で生まれたものだったら、火口から同距離にある浅間園自然歩道入り口はほとんど同じ堆積量となるはずなのだが、後者のほうは約1mある。この厚さが柳井沼を中心として遠くなるにつれ同心円状に薄くなるのだ。
早川先生は言った。「科学者という者は、常に自分の説が正しいかどうか、細心の注意を払い目の前で起こっている現象をチェックしているのだよ」と。いやいや、恐れ入った。
追分火砕流は溶結していなく、ここに積んであるような追分キャベツと言われるキャベツのようなスコリアをたくさん含んでいることが特徴。
プリンスランドのロータリーにある巨石は、黒岩の中で最も大きいものの一つ。これにクラスごとに上って記念写真を撮りたいのだ。
サンランド別荘地入口にある大きな黒岩の階段付近には、私が泣いて喜ぶような複雑怪奇な浅間石(板目石)の燈篭がある。この板目石ができるプロセスは、早川先生も言及を避けた。あくまで可能性として、流理状にできたものが、土石なだれの際に湾曲してできたものでは?と示唆された。