米子大瀑布 − 小根子岳 − 根子岳 − 小根子岳 − 浦倉山 − 米子 下見登山
須坂市観光協会のホームページによると、米子大瀑布の紅葉ピークは、10月11日〜25日あたりらしい。…ということで、米子大瀑布に行ったついでに、そこからの小根子岳・根子岳ルートや浦倉山ルートなどの状況を確認しに行ってきました。
駐車場に着くと、【紅葉シーズン週末マイカー規制】の看板が掲げられていました。確かに駐車スペースはそう広くはありません。
印象的な針葉樹の大木を横切り、登山道を進みます。足元には赤々とした紅葉の葉っぱが。今年は紅葉になるのが早かったのでしょうか?
100m置きくらいに、【休憩所】の看板が。お年寄りに対しての気配りが感じられます。
右へ右へと上っていきます。
米子不動尊奥之院に到着。江戸中期の建築物です。【瀧山不動寺】という文字が見えますが、因果関係が良く解りません。
米子不動尊 奥之院 本坊米子瀧山不動寺
http://www.yonakofudoson.net/freepage_36_1.html
近くに宿がありましたが、今は営業されていません。目を引いたのが、この青銅の剣です。
だそうです。
不動滝へと、石段を上ります、この途中にある祠にも、倶利伽羅の印が刻まれています。
不動滝に到着。高さ85m、滝口4.5m。数人のカメラマンが狙っていました。
カメラマンの前に行って撮りました。残念、滝口がちょっと切れてしまいました。
水平に移動し、権現滝に向かいます。途中で、カメラマンが構えていました。
どうやらここが、権現滝のベストビューポイントだったようです。権現滝には、真下まで近寄ることができないようです。木々の隙間からパシャリ。
この後、いったん下りてから小高い丘状の場所へ上っていくと、二つの滝が一緒に展望できる様になります。
歩いて行くと、看板があります。ここにはかつて、米子硫黄鉱山があったことが書いてあります。
この地で硫黄の採掘が始められたのは、江戸時代前期からとも言われますが、詳しいことはわかっていません。
享保年間(1716〜1735)頃、米子村の竹前権兵衛は、幕府に良質な硫黄を売り、その資金を用いて現新潟県紫雲寺町の干拓事業を行い、同町に米子新田を開いたと伝えられています。このことから現在、須坂市と紫雲寺町は姉妹兄弟の提携を結んでいます。
明治になり、須坂硫黄会社、信濃硫黄株式会社などが採掘を行い、昭和9年には中外鉱業株式会社に引き継がれ、昭和35年の閉山まで、硫黄を中心に蝋石、ダイアスポアーなどを産出しました。
米子鉱山から須坂駅まで全長14kmを超える索道(リフト)が架けられ、硫黄が搬出されました。硫黄の需要が増大した第2次世界大戦当時には、この地に生活する鉱山従業員とその家族は1,500人を数え、診療所や共同浴場、学校などがそろう鉱山の集落へは、この索道を使って須坂から多くの物質が運ばれていました。
【山の神】とされる神様がいて、鉄平石がごろごろと転がっている大きな崩壊地があります。
米子大瀑布を見てきたところなので迫力に欠けますが、小ぢんまりしていて趣のある滝があります。米子大瀑布が無ければ気の利いた名前がつけられていたことでしょう。
この先に幅の狭い崖っ縁の道があります。
この場所から見える対岸の紅葉は、すばらしいものでした。
このさらに上の沢に架けられた橋は、とても簡易的なものです。ここまで材料を上げるのは大変な作業だったことでしょう。
この上はネマガリタケの群落になっていて、笹の背が高いです。
滝をスタートして約2時間半、ようやく小根子岳の稜線に出ます。
かつての四阿山の火口縁を歩きますので、傾斜は緩やかです。そして青空が出てきました。雲の上に出たみたいです。
見事な雲海になりました。見る見るうちに雲の高さが下がっていき、北アルプスの山々が顔をのぞかせています。
小根子岳山頂。四阿山旧火口にはまだ雲が抜けきらずに残っています。その姿はまるで本当の火口に火山ガスが漂っているみたいです。
根子岳に行くには、少しだけ下り、その後はまたゆっくりとした上り道になります。
20分ほどで、根子岳山頂。
今まで気づきませんでしたが、こんな神様がいたんですね。一休みして、今来た道を戻ります。
雲上の空中散歩。右上に見えるのが小根子岳です。
四阿山旧火口内にあった雲も、ずいぶんなくなりました。
(※1:10位までは可能の中、それ以降が雲海の映像)
見てください、この映像を。こんな最高の日に来られたことに感謝します。
小根子岳から根子岳方面を見ると、ここがかつての旧火口だということが本当に良く解ります。
来た時には目前にあった雲海の先端部分は、次第に遠くなっていっています。北アルプスの山々の山容も、先ほどよりはずいぶん見えてきました。
お名残り惜しい雲上の景色を後にします。稜線を下り、
四阿山旧火口の中に入っていきます。そこにあるのがザレ岩。
今日のランチは、このザレ岩の上でいただきました。気持ち良くって、10分ほどお昼寝もさせていただきました。
下りの道の様子です。
下り下りた方が、樹に葉が残っている分、紅葉は良いです。簡易的な橋を渡り、
落ち葉の上を歩いて、目の覚めるような紅葉の渓谷が出てきます。
ここが危険なポイントです。左に注意して!いくつかの橋を渡り、
浦倉山登山道の分岐点まで来ました。さて、今日はもう飲み水が残りペットボトル1本をきっています。しかし、地図には登山道沿いに「水」の文字があります。それを頼りに、浦倉山まで登ってみることにしました。
初めは岩場の道も、徐々に足場は良くなってきます。
崩れているところは気をつけて!カラマツ林を抜けて、
さらに進むと、涸れた沢に出ます。
鄙びた木の橋を渡ると、針葉樹が多くなります。
ヒガラが遊んでいます。亜高山帯針葉樹林らしい、根上がりの樹も見られます。
ダケカンバとシラビソの森を歩きます。
倒れた樹木を種床にして、稚木が伸びていきます。これが倒木更新と言われるものです。
道がなだらかになると、稜線に出た証拠です。
浦倉山山頂に着きました。水はもうこれだけしか残っていません。
浦倉山山頂からは、残念ながら景色を堪能することはできません。
今来た道を戻ります。緩やかな稜線の道。途中、破風岳方面との分岐点があります。
亜高山帯針葉樹林、フィトンチッドの香りあふれる森を歩きます。
しばらくは、シラビソとコメツガ、そしてダケカンバが適度に混じります。亜高山帯の極相林にしては、ダケカンバが混じる割合が多いと感じました。通常はパッチ状にまとまって生えるダケカンバが、ここではバランス良く混じっています。
しかし、中にはシラビソの一斉林もありました。シラビソの森は天然林でもこのようにスラっとした、完満な姿になり、整った森になります。
根上がりとなったシラビソの樹。覗いてみると、たくさんの不定根を出しています。つまり、根上がりの樹の根は、全てが倒木更新の際にできたのではなく、後になって幹から下に伸びたものもあるということです。
ことろで、水がもう無くなりそうなのを思い出しました。ところが、水が出ていそうな場所は見あたりませんでした。ようやく沢を見つけましたが、
“湧水”という雰囲気では無く、どうも飲む気になりません。
西日に当たったカラマツ林がきれいでした。
米子大瀑布まで下りてきましたが、【奇妙滝】という看板があったので行ってみました。ところが、残念ながら道が崩れて閉鎖しているそうです。
奇妙滝から駐車場に帰る道は、通常では通らない道。ところがこの道には紅葉する木が多く、紅葉狩りには最高の道でした。ずっと岩場の道でしたが、岩場は樹木の生理現象として紅葉が良くなると聞きます。そのせいなのかもしれませんね。
浅間・吾妻エコツーリズム協会では、来年から以下の縦走登山ガイドコースを設定販売いたします。
- バラギ高原−浦倉山−米子大瀑布(逆コースも可)
- 菅平高原−根子岳−米子大瀑布(逆コースも可)
もちろん、コースに四阿山も入れることは可能です。ただし、それは足腰に自信のある方限定とさせていただきます。よろしくお願いいたします。