『ロウ石山』を訪ねて

今日は思い立っての勉強会。かねてから行ってみたかったロウ石山を訪ねた。メンバーは住田さん、唐沢さん、安斉さん、前川さんと僕の5人。

前川さんの粋な計らいで、ロウ石鉱脈発見者の干川石蔵さんのお孫さん宅に伺い、親戚筋で採掘開始当時からお勤めになられた定男様のお話を伺えることになった。これはありがたい!前川さんに感謝。

昭和15年、石蔵氏が炭窯造成中にたまたま発見したロウ石鉱脈は、ジュラルミンなどの材料になるとされ、太平洋戦争の最中とあって軍需産業の指定を受け「上信鉱山」として国家政策の一環として採掘された。昭和19年には250人ほどが採掘に動員され、その中には70〜80人ほどの朝鮮半島出身者もいたという。

終戦(昭和20年)で一時は終わった事業も昭和29年から再開発され、現場には当時の高さ14m・直径約4mの焼成炉が林の中に未だ残るという。今日はそれに逢いに行くのだ。

石蔵さんのお孫さん、宗利様は発見時の写真や会社から寄贈された大事な漆器を見せてくださった。

僕らはワクワクしながらいざ、目的地へ向かった。


  


折角のフィールドだし自然観察もしていく。

あったあった。万座川流域ですもの、熊棚くらいはあるでしょ。爪跡も凄い。僕は冬の自然観察会で都会の人にぜひこの熊棚を見せてあげたい。でもここは民家には近すぎるな。直線で500m無いぞ。倉庫の30m先だ!

ブナ科の木以外での熊棚は初めて見た。冬芽をじっくり観察できなかったが恐らくはウワミズザクラ(バラ科サクラ属)だろう。へえ、この実もああやって食べるのだなあ。

そんなこんなやっているうちにその姿が見えてきた。


  


どういう訳かデジカメがモノクロになっていた。しかしこれもまたいいものだ。被写体の影響もあってノスタルジックな映像となった。

「嬬恋遺産」というものがもし制定される日が来るのならば、小串鉱山跡やこのロウ石山焼成炉跡は必ず名を連ねるだろう。突出した価値ある物が普通に埋もれているのが嬬恋村の良くて悪くて変なところ。

僕達はしばしの間、炉の前で恋人にでも逢ったかのようにはしゃいでいた。

帰りの道、沢沿いのいたるところにツルが伸びている様を見て、

「この集落の子は沢沿いのターザンごっこをして遊んだりしてないのかなあ。」
…なーんて思ったりした。